2022.02.24
兆しを見た
「兆しをみた」 と思った。 明るい兆しを。
2月はそう思える1ヶ月間だった。
2017年の冬、わたしはフリーランスとして働いて二年目、北海道のニセコというエリアでひと冬暮らしていた。
夏にニセコで施行を控えた大きな野外ウェディングの下準備も兼ねていたその期間は、新婦様ご本人とのウェディング事業の立ち上げであったり、
北海道内いろいろな場所でのご結婚式の準備期間でもり、地元がニセコエリアだった大切な知人の同エリアでのレストラン開業準備、行政とのまちづくりフォーラムの企画、など、「0から1にする」がぎゅっと詰まっている期間で、寒さと雪の多さもあり修行のような期間だなと思っていた。
忙しさのなかにいて、自分はひとつひとつのことをどう判断していくのか。なにを「良い」とするのか。
その当時書いていた日記の言葉でいうと、「自分というものを痛いほどごしごし磨いて磨いて、自分という者の形を浮き彫りにしている期間だと実感」していた。
そんなニセコ暮らしも後半に入った頃、徹夜もよくしていたその頃に、明るい午前中、ひとり温泉へ行った。仕事で煮詰まっていることを感じていた時だったと思う。
その露天風呂からは、真っ白な雪をかぶった連なる山々が間近に見え、山々の上には真っ青な青空が広がっていた。
この白と青の爽快な景色が好きで、ときどきその温泉へ行っていた。
その光景をお伝えできるぴったりな写真がないのですが、こちらの写真でニセコエリアという場の雰囲気と色味だけイメージしていただければ!
その時はたしか、露天風呂に入りながら、山々の上をゆっくりと雲が流れていく様子をぼんやり眺めていたんだと思う。
ふと、「わたしが仕事ですべきことは、“見る”ではなく、“眺める”だ」 と思った。
「見る」は、限定的に一つの対象を捉えること。
「眺める」は、全体像を捉えること。
目の前のことだけに気をとられてはいけない。
施行当日までのこと、もっと言うなら施行を終えたあとに新郎新婦さんや依頼主さんや関わられた皆さん、まちづくりであればその街、がどうなっていって欲しいと願うのか。
そのことを考えることを、貫かなければいけないと思った。
温泉に浸かりながら、「眺めるは、目に兆し、と書くな。」と思った。
その時から、「兆し」というものを心のなかで大事にしていて、「兆し」にしっかり目をこらそう、と思った。
この2月は、そんな白と青の光景を思い出す「兆し」というものをとても感じたのでした。
1月の上旬、大切な親友が「なんだか、さとちゃんに持って来いの募集をしていたので、思わず共有するね」と連絡をくれたことがあった。
一年間の約束でのライターの募集だった。とても大事に思えて、すんなり、挑戦してみようと思った。募集要項を見ても、受けるべきだなと思えてそれから一週間後に応募した。結果は2月中旬とのことで、ひとつの種を蒔いた気持ちで、親友に報告した以外には応募したことをなんとなく伝えず時がくるまで心の中で温めていた。
そして同じく1月、農園へ一通のメールが届いた。
先生からのご紹介で、とのことで農園を見学したいとの嬉しいメールだった。2月になり、実際に飛行機に乗って穂別へ会いに来てくれた。その方がまた、本当に素敵な方で、わたしたち夫婦(と一歳の娘も^^) は大好きになった。農園にどんな形でか関わってくれる未来になるなら、なんて明るい未来だろうと思った。
そう思ったとき、「兆しをみた」 と思ったのでした。明るい兆しを。
きっと、わたしのライターへの応募という挑戦もうまくいくんじゃないかな、と思えた。
今月末か来月のはじまり、新しい挑戦のこと、ご報告できると思います^^
たった一個人による挑戦は世間から見れば小さいけれど、それでもいつでも新しい挑戦は偉大なことなんですよね。
2月に会いに来てくれた方が帰路についた日の夕方近く、娘と散歩中に頭上を飛行機が飛んでいったのを眺めて「さっきのお兄ちゃんが乗っているかもしれないよ」と見上げた空
勇気を持って四代目中澤農園へメールをして、会いに来てくれて、ありがとう。お互いにとって明るい未来であるようがんばるし、がんばらせてもらえたら嬉しいです。
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文中、開業準備をお手伝いしたニセコエリアのレストランさん!
J’ai la patate(ジェラパタット)
ニセコエリアへ行かれる方はぜひともおすすめ^^
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