四代目中澤農園|オフィシャルサイト|北海道むかわ町 穂別

中澤家旬報

2021.05.24

足掛け3日間、お祝いの餅づくりの記録

5月21日、娘が一歳になりました。

誕生日3日前からはじまった、お祝いの一升餅とよもぎ大福づくりの記録を書いてみようと思います。


中澤家の一升餅の完成形はこれで(見たことのないまんまるっこいものを前におだつ娘^^)、


よもぎ大福の完成形はこれです。

一升餅も大福も、親戚から頂いたもち米をうるかし、
よもぎは山に近い畑から摘んでくるところからスタート。

 


まずは誕生日3日前の夕方近く、ばあちゃんと娘と一緒によもぎ摘みへ。

 

溢れ出る自然児感。

ややしばらくこのパイプを登ったり降りたりして遊んでいてくれて助かりました。

しかし後半はぐずり、最終的にはおんぶの背中でねんね。まだまだ赤ちゃんだね。

この日は夕飯を食べてすっかり夜になったので、茹でずにひとまず保管。ビニール袋から紙の箱に移して気を抜けやすく。

「もうあったかくなってる」とばあちゃんに言われ、重なるよもぎの中に手をいれると、じんわりと温かかった。よもぎの呼吸。

 

翌朝、よもぎを3回にわけて茹でました。

台所に誰かが立つと必ず娘がやってくる。今回は手の届くところに大量の「はっぱ」があるのでそれは楽しそうに投げていました。最近、散歩のときに緑になった葉っぱを見ながら「はっぱ」というと「ハパー」や「パ」と真似してくれてとても可愛い。

茹で上がったら、ざるにあげて、冷水で洗いながら冷まして、水気をぎゅっと手で絞る。

その繰り返し。そして使いやすい700グラムずつに分けて袋へ。

ばあちゃんが「ぎゅっぎゅ」とよもぎの入った袋を押す動作を教えたら、ちゃんとぎゅっぎゅとしていました^^
中澤家のよもぎ大福は、餅米二升(20合)と茹でよもぎ1.4kg、小豆一升五合、となかなか豪快な量でつくられています。

こちらは、ばあちゃんの好奇心でつくられた、小麦粉のよもぎ団子。ちょうどつい最近テレビで見たそうで「どこかの地域では、よもぎと麦粉(ばあちゃんは小麦粉のことをムギコナと呼ぶ)を合わせて焼いたものが特産らしい」と。それで、今回半端分のよもぎと小麦粉と水(と塩砂糖少々)をこねこねして少し寝かせ、焼いてみたらかためもっちりな団子になっていて、これはこれで美味しかったのでした。

ばあちゃんは「代用食だったんじゃないか」と言っていた。きっと米を食べられなかった時代の“米の代用食”じゃないかと。また、冷凍庫のなかった時代は春に摘んだよもぎを乾燥させて、正月の餅つきのときに使っていたという話も教えてくれた。ばあちゃんの知恵袋な話はいつも面白い。

 

さてさらに翌日の朝、誕生日前日はあんこを煮ました。

まだ砂糖で味付け前の茹で小豆を味見。いつもこの味見のとき、“滋味深い”という言葉が頭のなかにほわほわほわ〜と浮かびます。

木綿の布で手作りしたトートバックのようなものにあんこを入れて水気をきっているところ。

ばあちゃんがぎゅっぎゅと水気を切ってくれている間、娘はラップの芯でふーふー言いながら練り歩いていました。

一升五合分の小豆も穂別のもの。常に、こういうときのために、穂別のものやどこか出かけた先で買ってきた小豆・黒豆・ばあちゃんのお気に入りの栗豆、などが食品庫にストックされています。豆は長く保存がきくから便利ね。

午後に和晴さんから「もし時間があったら、飲み物3本、フジさんの畑に持ってきてくれたら助かる!」とのことで一服の飲み物を配達しに。

ぴかっと晴れたこの日、男性陣は山あいの畑に南瓜の苗を植えていました。品種は今年もダークホース。

娘とこの畑で少し遊び、帰宅してぶらんこでばあちゃんに遊んでもらっているうちに、ねんね。

0歳最後の日も、いつもどおりに暮れゆきました。

 

さて、誕生日当日!朝から一升と二升(よもぎ大福用)の餅米を蒸し、おもちをつきます!


餅つき器を覗く娘^^ ちなみに、中澤家もさすがに杵と臼ではありません笑。

紅白の一升餅が出来上がったら、神棚にお供え。キッチンペーパーを乗せ、ラップをふんわりかぶせ、お餅もここで気をぬきつつおやすみしてもらう。

続いて、新たにつき終わったお餅に一昨日茹でたよもぎを混ぜて、こねる。

水を加えて程よい柔らかさになったら、また餅つき器に戻してつく。

ばあちゃんは、ついている間に時々蓋を開けてはしゃもじで餅を「押し付けて」いました。

餅がつきあがったら、手でちぎって、お盆にしっかりと敷いたデンプン(片栗粉)の上にぽとぽと落とす。

落とした餅を指で伸しながら平たくして、真ん中にあんこを包む。

よもぎの旬、祝いごと、年末、お彼岸などに、こんな風にたくさんのあんこを煮て、よもぎ大福やおはぎを作るのが中澤家の恒例。

そうして、地元の親戚、昔からのお顔なじみ、お寺さん、ばあちゃんの亡くなったお友達にお供えしたりして振る舞う。

去年、娘が生まれ退院してきたときも、よもぎ大福がつくられて待っていたのでした。

すべて包み終わったら、あんこがはみ出たりしてちょっと失敗した出来立ての大福たちを味見もかねてもぐもぐ。静岡の知人さんから十四三さんが頂いた新茶と、ばあちゃんが冬に漬けたたくわんをおともに。最高ですね。

 

お昼にはいよいよ準備も整い、一升餅をしょってもらいましょう。

見たことのない大きなまんまるに喜ぶ娘^^

こちらは動画のスクショより。うちは前と後ろにわけて風呂敷でくくり、大泣きしながらてとてとてとと、歩いたのでした。

画面のなかで両家じじばばに囲まれて。
本当は、わたしの両親もこの日穂別で一緒にお祝いしようとずっと計画していたのですが、緊急事態宣言発令のため控えました。それならせめてテレビ電話を繋ごうと思い、両親はテレビ電話できる方法があるかなぁと心配しながら事前に母に相談したら、あっさりと「インスタのビデオチャット」という返答で、私も知らない機能をちゃんと使いこなしていて笑ったのでした。笑

 

一升餅を背負ったあと、娘がいつの間にかに、今度はよもぎ大福の入った袋を持って階段をのぼろうとしていて、意欲旺盛さにも笑う。


はい、ありがとう^^

夜に、お祝いのごはんを。

と思ったら、主役の娘が、夕飯前にじじに抱っこされ散歩しているうちに寝てしまい大人たちだけでお先に乾杯となりましたが笑、

無事にほどほどで目覚め、楽しく誕生日の夜ごはんタイムに^^

イチゴとバナナ米粉パンケーキに夢中の娘。笑

 

元気に一歳になってくれてありがとう。

誕生日三日前よもぎを摘んだ日、娘が靴を履いてはじめてお外で歩けるようになった。

泣きながら一歩歩けたら、それからはてってこてってこ、歩けるように。それでよもぎを摘んでいる間、靴を履いて一人で遊んでいてくれた。

日差しのなか、ばあちゃんのいる場所からわたしのいる場所まで、笑顔の娘が娘なりの精一杯でかけよってきてくれた場面が愛しくて、ずっと忘れないでいたいなと思った。

誕生日当日、今月に入り特に休みなしで働き続けてきた和晴さんも午後からは時間を空け、3人で買い出しやハウスを締めがてら散歩したりして、バタバタしつつも平和ないい一日でした。

こちらは、誕生日あとの餅づくりの後じまい。餅がくっつかないようにたくさんつかったデンプンを水に浸し、浮いてきたよもぎのカスなどのゴミを除いているところ。数日この作業をしてから、新聞などに広げてすっかり乾かし、ザルなどで濾したら次の餅つきのときに再利用。

次の餅つきは9月かな?どんな中澤家、どんな世の中になっているでしょうね。だれにとっても…まずはわたしが思い浮かべられる皆さんにとって明るい未来でありますように。

そんなことを書いていたら、ちょうどばあちゃんが、包装紙を折ってつくった紙の器にデンプンを広げはじめたのでした。

May 24 2021, 11:17am.