2021.03.16
小さな合唱
わたしたち夫婦は天気予報以外はほぼテレビを見ることのない暮らしをしているのですが、四世代での暮らしの居間には大きなテレビがあります。
最近はわたしもこのテレビを活用していて、
歌をうたうと手拍子をしたり笑顔で体をみぎひだりと揺らすようになった娘の姿がかわいくて、ひととおり色んな遊びをした午後の真ん中頃にテレビでYouTubeを流すことがある。
今日もそんなわけでYouTubeで「童謡 春」で検索した曲を流したのですが、
最近娘と散歩しながら、春めいてきた景色になにげなく鼻歌で歌い、出だしくらいしか思い出せないでいた歌たちを改めて聞けて、
その歌詞やメロディがとてもいいものだなと思ったのでした。
春、
春の小川、
どこかで春が、
ちょうちょ、
…
居間に一緒にいた87歳のとき子ばあちゃんと、娘とで、手拍子したり手をひらひらしたり口ずさんだり。
そして数曲目。
♩「菜の花ばたけに 入り日薄れ〜」
…
朧月夜が流れた。
聞くのはいつ以来だろう、懐かしい。
でも、口ずさめる。いつかどこかの幼いわたしが聞いたり歌ってきたのでしょう。それがいつかも思い出せないけれど。
♩「見わたす山の は 霞ふかし」…
口ずさむ。
ばあちゃんも口ずさむ。
耳が遠くなったばあちゃんは、ワンテンポゆっくりと口ずさんでいた。テレビからの伴奏とはずれて、それでも音程正しく歌うばあちゃんも、人生のどこかで聞いた記憶によって歌っているのだろうと思った。
たぶん、この今の時間を、「幸せ」と言うんだ、と思った。
晴れて陽射し明るい居間で、娘は嬉しそうに揺れている。
ばあちゃんと娘と同じ画面を見ながら、朧月夜を口ずさんだこの光景を、この先いつかのわたしは思い出すだろうと思った。
「菜の花ばたけに 入り日薄れ
見わたす山の端(は) 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて におい淡し
里わの火影も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙のなくねも かねの音も
さながら霞める 朧月夜」…
なんていい歌。
菜の花ばたけはないし蛙が鳴くのはまだまだ先でも、この歌詞を読んで穂別が思い浮かんだわたしは、
穂別に暮らして丸三年、穂別がふるさとのひとつになっているのかもしれない。
最近は娘に歌ってあげたりお祝いでいただいた鉄琴のおもちゃで叩いてあげようと、いろんな童謡をちょこちょこと調べる。
自分が子どもだった頃以来、出会い直す童謡に感動する。