四代目中澤農園|オフィシャルサイト|北海道むかわ町 穂別

伝えたい風景

2021.01.08

すずちゃん

 

すずこ、という子牛がいて、1月6日はその子が出荷される日だった。

結婚前にも牛さんのことを書いたことがある。
「一頭の牛だった」

四代目中澤農園は、二代目である祖父の代から和牛の飼育を始めた。1990年、祖父が牛舎を自分で建ててスタート。


↑こちらスタートして二年目の頃の和晴さんと牛たち

結婚してからも毎月市場はあり、毎月のように子牛たちが農園から旅立っていくけれど、今でも慣れない。うちは「繁殖農家(はんしょくのうか)」であって、うちから市場に出荷されてすぐにお肉になるわけではなく、次に「肥育農家(ひいくのうか)」という大きく育ててからお肉にするための農家さんに買われる。血統のよい雌であればお肉にならずにお母さん牛になる道もありえる。そのことをちらりと心の頼りにしている。

今回、2021年最初の市場に出荷した一頭が「すずこ」だった。

2020年3月2日生まれ。

お母さん牛が高齢で弱ってしまい、生まれてからすぐに私たちが哺乳瓶でミルクをあげて育てることになった。

だから、ひとしおだった。ほかの子ももちろんかわいいが、わたしが自分自身の出産前の期間にずっとミルクをあげていたすずちゃんは思い入れがひとしおだった。

まだ寒い時期だったのと、人工哺乳だけで育てた経験が私たちになかったので、安全のため生後のしばらくは「カーフウォーマー」という温かく小さな小屋で育てた。

それで、ほかの子牛のような運動量がなかったのでお散歩に出してあげたりしていた。

お散歩だけでなく、和晴さんと追いかけっこをしたり。

ぜいぜい息が上がって帰ってきたり、


そして小屋に入りたがらなかったり。お外で遊ぶのが、楽しかったんだね。

忘れられないのは、「はじめて雪原を見たとき」のすずちゃん。


びっくり、というのか、平静ではないことが伝わってきた。かわいかった。


すずちゃんが和晴さんと追いかけっこをして、帰り道はわたしと一緒に歩いていたとき、一生懸命走りすぎてよろよろになったすずちゃんがよろけて、妊婦だったわたしも一緒によろけたのもいい思い出。笑った。

すずちゃんの体調も安定していたので生後1ヶ月になる少し前に、カーフウォーマーから出してお姉さん牛たちと同室にしたとき、お姉さんたちに囲まれてなんとも居場所なさげにしていたのも笑えた。

すずちゃんが2ヶ月になった頃、となりの部屋で赤ちゃん牛が生まれた。
そしてたぶん、赤ちゃん牛がお母さん牛のおっぱいを飲んでいる様子を見て、すずちゃんなりになにか思ったのかもしれない。

哺乳瓶からミルクを飲みたがらなくなった。

そんな風にして生まれてから約10ヶ月前後、それぞれに色んな体験をして、うちで過ごしていく。
個性があって、甘えてきてくれたりもして、愛しい牛さんたち。

「経済動物」ということで、中澤農園では約30年以上、和牛を養ってきた。
一頭の親牛が一年に一頭の子牛を産むことを目指していて、毎年10頭ほどの子牛を市場に見送っていることになる。

現代は、環境の観点、動物愛護の観点、ベジタリアン、フレキシタリアン、ヴィーガンなど色々な判断基準が取り入れられ畜産の立ち位置や風当たりも30年前とはきっと違う。

それでも今すぐ、今日・明日に畜産業がまったくのゼロになることはないだろうし、今日もうちの牛舎では16歳から0歳の牛たちがのんびり干し草をはんでいる。

いま命あるこの牛たちを幸福に暮らさせてあげることと、
大切に扱ってもらえることを願うこと。


和晴さんが送ってくれた1/6の市場でのすずちゃんの様子。

「牛だけにぎゅうぎゅう。」というコメントとともに。

笑わせてくれてありがとう。

はじめての完全人口哺乳の子、すずちゃんとの記録。

「いま命あるこの牛たちを幸福に暮らさせてあげることと、
大切に扱ってもらえることを願うこと。」

食事という場面であっても、大事に扱ってもらえることを願っている。

January 8 2021, 7:18pm.